緑、黄色、青・・・幻想的な空間にいる犬の茶々

茶々へ            

〜「そらの茶々」に添えて


ちゃちゃ
茶々 チャチャ ちゃーちゃ
17年前
わたしのところに来た茶色の子
おぼえている?
何度も通った動物愛護センター
くじに外れてばかりで
でもよかった
そうしてお前に出会えたから
飼育係の人も
わたしたちのこと覚えてしまって
また来たねって

まだ個別のケージに入れられる前に
走り回るほかの小犬たちの中で
お前は一人でボーっと座っていた
他の子犬に押されて転んで
ウンチ踏んづけちゃって
ころころして小熊のような子犬だった
女の子はお前ともう一人の2匹だけだったね
係りの人が
「また来たんか」
そういって
お前を抱っこさせてくれた

個別のケージに入れられて
いよいよ番号札を入れて抽選
わたしはお前のケージの前に陣取って
他の人が入れないように張り付いていた
さいごのほうになって
こいつでいいやって仕方なさそうに札を放り込まれたときは悔しかったっけ
でも
母が言うにはきっと係りの人がおまけしてくれた
わたしをあたりにしてくれた
確率は二分の一
それでも実際は外れていたのだろうって
でもあんまり何度もくるからって

そうしてお前はわたしの手に抱かれた
母の自転車の後ろで段ボール箱に入って
飛び出したらどうしようってはらはらしたよ
時々顔出していたっけ
家に着くと
お前は乗り物酔いをしていたね
ふらふらで
でもすぐに元気に走り出した
初めての人たち初めての場所
お前の名前はもう決めていたの
茶々って

祖父母にもかわいがられて
最初の夜は玄関の中でくんくん鳴いていたね
初めての一人きりの夜だったんだね
食事もいつもと勝手が違って
食べつけないもので
人恋しがってケージの柵の隙間に飛びついて
そのまま首が挟まってしまって
そんな風だから朝まで心配だったっけ

初めての散歩初めての食事
わたしは大学一年生だった
なれない食事に反抗して
絶食したこともあったね
わたしは母と心配して
鶏肉ばかりのご飯をあげてみたっけ
そうしたらあっという間にぺろりと食べて
「げんきん」
心配して損したって
笑い話

父が作ってくれた小屋の下で
もぐりこんで仰向けになって昼寝していたこともあったっけ
あんな寝方するなんてびっくりしたよ
散歩中よそ見して歩いていて
車止めに躓いたこともあったよね
この子は天然だねってみんなで笑っていたっけ
事務所が出来ると昼間は事務所で母と過ごしたね
雨の日にお客さんに吠えて
飛びつく勢い母のスカートに
泥の足型スタンプ
雨の日小屋で過ごしたときには
庭に入らないように作ってあった柵を飛び越えてしまって
戻れなくなってずぶぬれになって座っていたっけ
そうそう
朝散歩に行くときに
鎖が外れていたときがあった
それなのにお前はいつもの場所以上は出ることなく
散歩のリードにつながれるのを待っていたよね

あの時ばらばらになりかけていた家族をつなぎとめていたのは
おまえだった

そうして笑顔をもたらしながら
わたしも大学を出て就職して引っ越して
たまにしか会えなくなってしまった
でも必ず覚えていてくれたよね
家を建て直したときは
家に事務所が出来たので
最初は雨の日だけだったのが
父が毎日事務所に入れてやるようになって
そのうち小屋で寝起きすることが無くなって
事務所が茶々の住むところになった

茶々も10歳を超えてきて
それでも元気いっぱい
散歩は父、食事は母になっていた
わたしが居た頃は一緒に散歩して食事もわたしだったのにね
父に遊ばれていたずらされてばかりいたっけ
最初立ち入り禁止だった事務所の上がり口の階段
どんどん上ってくるようになって
数年後には上半身入室
いたずらして家の中まで上がりこんでくることまであった
目を悪くして一緒に車で
雨の中母と可児市まで医者に行ったよね
頭を振る癖が災いして耳をぶつけて
方耳が寝てしまった
どじな子だった

それでも15歳になってもぴんぴんして
ご飯は待ちきれずに果物意外は何でも食べて
あの
過去の断食騒動がうそみたい
犬用のおやつを毎食のデザートに喜んで食べた
わたしも買うことが楽しみだったよ
16歳になっても
夜ご飯になると母がお茶碗に入れるときは
後ろ足で立ち上がってジャンプする
「待て」をすると
じっと見て口からよだれがぽたり

わたしが会社を転々として
引越しを繰り返して最後に今居るところで
一人障害と闘いながら就職活動
それからだったね
突然の心臓麻痺
偶然父と弟2人とも家に居た日だった
だからすぐに病院に行くことができて一命を取り留めた

就職して

わたしが
仕事を続けられる精神状態でなくなって辞めるにいたる頃には
うそのように元気で
わたしが実家に行くと
喜んでくれたっけ
散歩もふらつくけれどだいぶ歩くし
食欲に負けてコピー機の後ろに入り込んで
夜遅くにひいひい言って出られなくなって
偶然ファックスを見に来た父に発見されてグッタリ
無事でよかった
食事のときのジャンプもまたするようになった
よかった
そうおもったのに
どうかこのままと
願っていた
「近い」なんて
このときは思いもしなかった

まもなく
2度目の心臓発作
今度はホントウにおかしくなった
ふらふらと徘徊するお前はまるで別人のようによろようで
しびれた舌では水もうまく飲めず
何度でも事務所を往復しては水をひたすら飲んでいた
大好きだったお菓子も食べられず
ただずっと動き続ける
排泄も出来ず散歩にもいけないので
子供の紙おむつをしていた
久しぶりに見た茶々はあまりにも年月がたっていた
それが11月の中だったね
わたしが実家に行った週

着いた日は徘徊ばかりしてのまず食わず
ようやく体を落ち着けた茶々に一粒ずつ
乾燥えさを食べさせた
食べてくれた
この日はいつもより意識がはっきりしていたと母は言う
えさをだいぶ食べ、夜、鎮静剤を飲ませてもらって
大きな背の高い段ボール箱の中で眠る
また事務所のどこかに入り込むといけないからそうしたって

翌朝だった
元気になって散歩までした翌朝だった
人の足くらいの高さのダンボールの壁をジャンプして飛び越えたらしいね
箱は倒れていなかった
オムツは取れて事務所中うんちだらけ
ショックからか茶々の腰は曲がってしまって
お前は事務所を掃除する母のそばで
体についたウンチを洗い流された体を二つ折りにして横たわり
引切り無しに足をばたつかせていた
のまず食わずで一日中そうだった
母とわたしは獣医さんのところで食事と薬をもらいに逝ったよ
でも母が与えようとすると
人をかんだことの無いお前が母をかんでまで抵抗した
もう最後の予感がしてしまった

心のどこかで願っていたのだ
ごめんね
見ていられなかった
祖母と茶々の世話瀬踏んだりけったりなめにあった一日の母
もがき苦しむお前
最期を看取りたい
そう願ってしまった
だからなの
その翌朝だった
あっというまだったね
父が見に行くとお前は体を丸めたまま冷たくなっていた
11月16日だった

もうすぐ17年だったね
ありがとう茶々
願ってしまったわたしと
わたしを待ってくれたような最期を過ごした茶々
ありがとう
そして
またあおうね
やくそくして
どうか
わたしもそちらに
迎えに来てくれると
まっているから
一日でも早く
まっているから

ありがとう
まってる
たくさんの笑顔と創ってくれた絆
ありがとう
来てね
やくそく
まってる
はやく
まってる


   TOP   >  風景画など   >  そらの茶々              ← 前へ      次へ