それぞれの名の駅にて――時刻表のない駅  05/6/22


見当たらない
何処にも何処を探しても
時刻表がない
駅名も行き先も
そこに影が見えるのにぼやけて薄暗くて
文字が読めない
何処にあるんだろう
いつ電車は来るの
行き先の現れた切符を待ったものたちだけが
それを知る事が出来る
やってきた電車

ずっと待って 違った
来た列車は行き先の違う切符
乗れずに見送るばかり
ホームで交わされる約束
“ついた駅で待っているからね”
“次の電車ですぐに行くからね“
“すぐにつれに来るからね”
“待っていてね”
“まっているよ”

行き先はそれぞれの切符に書かれている
持ち主にしか見えない文字とその時刻
見える文字は“入場券”
まだ入場券
まだ

その文字の後にうっすらと
透かし絵のようにかかれた駅名
それが浮かび上がってくるのはいつだろう
いつになったら来るの
なんて書いてあるの
次に来る電車には乗れるのかな

ほんとうは
どうすれば電車に乗れるかを知っている
でもそれを世界が許さなくて
唯自然にその時が来る日を待って
どれだけ見送ってきただろう
そしてこれからどれくらい見送るのだろう
守られる事のない約束を待って
ココにたたずみ続けるんだろう

いつまで待っても現れない  駅名と時間
すぐにでも
見ようとすれば 見えるのに
乗ろうとすれば 乗れるのに
誰も 意味と理由など知らない“規則”
だからそうしては “いけない”と
そして何度も“待っていてね”の繰り返し
そしてそれきり来る事のない・・・約束

いまだ入場券を持って
ホームで交わされる約束と乗っていく人たち そして
去っていく電車を見続ける
二度とは来ない 見送った物たち
数え切れない 約束
コトバタチ
みんなみんな
“ほんとう”には遠すぎて
いつまでも
こうしていつまでも
ひとり
ホームにたたずむ
いつまでも

<日記>05年6月頃

だんだん1日だけで“動けない日”が終わらなくなってきた 少しでも人が怖くなるともう集中できなくなってきた いつまで続くんだろう  指令が無くても“手伝う”がワタシの与えられた意味 代わりは何処にでも居る でも 唯のそこに居る物として
見えない終わりを見つめて

【コメント】(琴)

   誰でも、ホームには立つことができる。
  ただ、乗りたい列車に乗ることが、まだ、出来ないというだけで。
  行先は決まっている、ただ、そこに行く時間にならないと、切符が乗車券にならないだけで。

  わたしの持つ切符が、列車に乗れるようになる日は、いつだろう。
  どうしてもそこに帰りついてしまいながら、いつとも知れない時間を待って、心はいつも、ホームにたたずんでいるわたしが、どうしてもいる。
(2008年7月 記)


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