“あい”と“しあわせ” 05/6/23
幸せというもの
“あい”というものは“幸せ”をつれてくる物
誰かが他の誰かを大切だと
かけがえの無い物だと“あい”する
それは生き物の中で
“感情”を得たヒトだけが持つ物
代わりに“何か”
“大切な物”を失ってまでして得た物
そしてすべての事象に関わってくるたくさんの種類の“あい”
“あい”が幸せを作るのか
幸せが“あい”なのか
あい
ヒトを好きになるという感情
“普通”の“好き”とは違う物らしい
そしてそばに居る事
そしてそれが安らぎに代わるヒト
そんなヒトが“あい”
それをもとめて
ケッコンという物から始まって
カゾクという集団を作り始める
そこにいること そうすること
そこにあるものは繋いでいる絆は
あい
それは幸せと同義語なの・・・?
あい と 恋
与え合うものが 愛
求め続けるものが 恋
好きの種類 愛の前にあるという恋
全ての事象に関わってくる何らかの“あい”
そして何故その中のひとつに
カゾクという集団を作る種類の“あい”がある
そうする事の意味と理由は何
ヒトと居る事そこに求める安らぎ
そこに必ず有るとの確信
全てがその中にあるという確信
そして
それが
“そのうち解る”といわれたものたち
理解しがたい物
解りたくて
知りたくて
愛に恋した きっと
“「ソノウチ」 ワカルヨ“
“「ソノウチ」 ハ イツ・・・”
ずっと昔に聞いたことば
その後も繰り返し
いつになっても
ココロたちを置き去りに それらの入った“体”だけが時間を過ぎていく
ずっと 今も いまだ まだ
誰に聞いても同じ答えのことばだった 今も昔も
“ソノウチ ワカルヨ”
“シゼンニ ワカルヨ”
そういうものだから と
そう言ってみんな笑うだけ
そのままで過ぎたジカンはどれくらい
あいというもの
かんじるもの
どんな形でどんな感覚
解らない
誰に聴いても答えが無い
来なかった“そのうち”
来る事の無い“そのうち”
“そのうち”というジカンは
今の“イキル”には無い答え
誰も教えてくれない あい
そして
わからない
“あい”という全ての幸せの
その
来ない“そのうち”
そして解った
わたしには
それが
忘れてきた 欠けたもの
“ソノウチ シゼンニ ワカル”は
育たなかった
“そのうち”は
“来ることは ないんだよ”
と
それでも
仮でも
ありえないものでも
どこかで・・・
朝がくるとまた・・・そんな虚しい感覚しかない どうしてだろう それでもソト子は、こなしきれないとワタシが見ただけで途方にくれるような予定表をこなしていく ほんとうは誰よりも弱いのに それを押しころす様にロボットになった それでも些細なコトバに反応して壊れそうになる 強くてそれでも 本当は一番傷つきやすい それなのに
そうだ今度の病院行ったときは忘れずにいわないといけないね せんせいケッコンという物したことしらなかった いつか結婚式だからと言っていた診察日が有ったっけ そのときがそうだったのかな
愛があると どうしてそうしてカゾクというものをみんな作っていくんだろう 先生もそうしていくのかな わからない でも おめでとうをいわないといけないね
くすり ソト子も頓服無しでは動けなくなってきている