3年前の出会いを――キーワード  04/10/29


3年前の偶然の出会い
この人は そのヒトは その人の世界の中で
わたしと同じ事をして
外の“ヨノナカ”という世界と付き合っていた
同じ事をしている
こんなにも同じ事をしている
どうして
この人は“中の”世界の中で
同じ事をしている 同一ではなくとも
源流は同じ事をしている
他に“ヨノナカ”のヒトにはわからない方法
この本 この中に
同じ人がいる ワタシ “ワタシ”が居る

一冊の本 偶然の出会い 今から3年程前のこと
まだ会社と言うところで
そこに居られた頃
昔から 学生時代から
社会に出たら やって行けないといわれてきた
それでも何とか 作り出したワタシタチで
時間を進んでいた必死だったあの頃
精神科と言う病院を そこへ通い始めて3年くらい経った頃
一見誰にもわからない わたしの世界の中
その出会いの中に たくさん 驚くほどたくさん

そのときに先生に話して居ればよかったのかもしれない
そうすれば
3年間の遠回り もっと近かったのかもしれないね
それとも
そうせずに
何度も訪れた“終わり”のチャンスを
見過ごさずに 終わりにしているべきだったのかもしれないね
この出会った本を見せたところで
一見わかってくれる人など
たぶん いないから
わたしの世界のことを誰も知らないから

キーワードを片隅に残して
この本と遠ざかって引き出しの奥へと
行ってしまっていた大切な出会い
この出会いの直後の“キチガイ”を理由に
性別を理由に
突然の解雇 明日から来なくていい
いらないいらない
あんたは要らない
このコトバはワタシのいちばん嫌いな言葉
これはわたしを狂わせる言葉 理性で押さえつけている何かを
狂った何かを出してしまうコトバ

パニックと後始末
還る場所も無く
途方にくれてそれでもなぜか生きる事をやめる事が許されずに
でも行くところも帰ることも無く
それでも許されない限り一人で何とかするしかないと
ギリギリの日々
そして
出会いを忘れてしまった
片隅に キーワードだけ引っ掛かったままにして

そして
3年経った今思い出す
入院 きっかけ 先生の言葉
突然先生に言われたコトバ
キーワードと一致
思い出した 引っ掛かって おもいだした
つかず離れずさり気の無い
でも離れないで居てくれる不思議な一人のヒトがいた
この世界では他に知らない
その人が友人になってくれた
その友人が
ワタシの世界を聞いてくれた
ただ聞いてくれた 入り込まずに聞いてくれること
それが重要だった 線を越えてくる人たちとは居られない
そして 動き出した キーワードへと
友人は一人の先生を見つけ出してくれた
そのキーワードの専門家
そして 一人ではどうして良いかわからないわたしと
付き添ってくれた 一緒にその病院へと
その友人も わたしの世界を記した文章と唄
とても長いもの 100ページを超えるだろうか
読んでくれた そして キーワードを疑う
それが始まり 運命の日は 4年10月○日
コトバが出ないのでまとめた文章
パソコンにエラーメッセ―ジを出されて消去されても直して読める文章に
運命の日の始まった時間
そして色々な質問
時間がかかっても コトバを何とか作って発した
学生時代のことは友人が答えてくれた
わたしがコトバを探せないところを補ってくれた
最後の質問 これが多分 ほんのもと偽物の決定材料
わたしではなく客観的なワタシの姿を
知るために 影響を受けたかどうかの判断のための
そして決まった そしてキーワード
急に組みあがっていくバラバラに散らばっていたパズルのピース
つながっていく 解らなかった事が
押し寄せてくる 静かに 混乱しながら静かに
ずっと波のように混乱は満ち引きを続けている

停まった心 停まったカンジョウ 
わからないコトバタチ わからない裏の裏
ずっと解らなかった ずっと解らないと解った“そのうち解る”というもの達
これからずっと
それはこれからは
パターンとして台本を マニュアルを数多く作る事
出来る限りたくさん必要な事 それを使う方法を間違えない事
そして
夢を目前にしたカノジョに
これらを伝える事 カノジョを
夢から地獄へ突き落とす事
その日を近く 迎えないと行けないこと
その日まで黙っている事飲み込む事の多さに耐える事
それが
わたしの足を地につけて
ジブンとイバショとアンシンを見つける出発点
カノジョの不幸と引き換えに
カノジョのコトバを破る事
出来ない事
矛盾が不安へと また新に導いていく
見つかったキーワードは
何処へわたしを 連れて行くのか
カノジョに 何をもたらすのか
未知数の 決まらない 時間だけが不安を運び続けながら進んでいく



<日記>アスペルガー症候群診断日(4年10月のある日)と10月の別の日

4年10月 勝手な事をした 先生に黙って勝手な事をした。ゴメンナサイ、先生、ゴメンナサイ。でも、どうしても答え、 キーワード、欲しかった。小さい頃の癖や遊びの事、今も直らないルール、思い出せるだけ書いたレポート、 もって、自閉症の権威、症例、成長後の症例を多く見ているという先生の判断を、聞きに行った。学生時代の その中唯一わたしだった1年間の、友人が付き添ってくれて、私がうまく答えられないところ、補助してくれた。 イエの人たちには、内緒で行った。

結果は、アスペルガー症候群。引っ掛かっていたキーワード、それだった 。3歳ぐらいまでの、ワタシという自我の出来る前の事を、“親”に聞かないといけないといった。あのヒトは 呼べなかった、だから、それは出来なかった、次の予約は、保留にした。レポートと、友人の話し、わたし―― あの子でもコドモでも無い――でも、たった一度きりの、短い時間の中でのカウンセリング。 それだけで、出た診断、ASだった、せんせい、ASだった。あのひとには、誰にも、この結果のこと、今は、付き添ってくれた友人 しか、知らない、あのひとには、いえない。わたしには、いえない、あくまで、普通と変わりがなかったと、 向きになって言いに来たあのヒトには。でも、幼少の頃に生活した、物心つく前には、周りに、近所に、コドモは 居なかった、普通というものを、何を基準にしているのか、祖父母に預ける事の多かった兄とワタシ、何を基準に、 あのひとの中でのフツウ、比較対照は、居なかったはず、近所にも。

眠った。ココへ来て、部屋で、眠った。帰りに本屋でも行って何か本を買ったり、折り紙やパソコンするつもりだった、 病院から帰ったら、そうするつもりだった。なのに、ひどく眠くて、夜になって起こされるまで眠ってしまった。 ずっと、おかしな夢ばかり見ていた。頭の中は、静かに混乱していた。シンとしていた。 でも、混乱して、鎮まりかえっていた。おかしな、今までに無い奇妙な不安と、何かを、いちばん、アンシンが、 欲しかった、安心を得たのに、アンシンが、何か必要だった。

4年10月

今日は、父親が法事に行くので、予定が立たないので思うように何もできない一日。送り迎えをしないといけないから。 オバアチャンと、あの人の、用事もあった。オバアチャンはワタシに、あのひとに頼みづらい事は何でも、 ワタシのスケジュールや話を無視して言う。オバアチャンも、思いどうりに動く人がほしかったのかな。 だんだん分からなくなってきた。頭の中は、昨日のことで、まだ静かに混乱していた。誰に、こんなこと言っても、 わからないから、言わない。ばらばらだったパズルが急に組み上ったような感じと、 組みあがったものがバラバラになった感じが同時に心の中を占めている、予定を立てても落ち着かない、集中できない、バラバラとして 、落ち着かない不安、混乱、何かをしていないといけないのに何も手につかない、無意味にわけのわからない奇妙な不安な一日、 明日から月曜日、まだ、いつもの不安も重なってくる、あと少し、病院へ行く日まで、あと少し、 先生は、助けてくれるだろうか、勝手な事をしたと、見捨てるのだろうか、わたしは、“手”を、なくすんだろうか・・・。 何年もかかって、やっと掴みかかった、手を・・・・

でもそれは、大きな矛盾を招くもの、カノジョのコトバを、守るべき、敗れないコトバタチ、 夢を目前としたカノジョに対し、これらを破って突き落としてしまう鍵。脳の機能的なもの、治る事の無い、 明確な治療法の無い障害、そう断言した先生、断言で無ければわたしにはわからないから。あの人へは、 先生が説明してくれるといってくれた、その日が時間が進んで近づいていく。カノジョを突き落とし、 カノジョのコトバを破る矛盾に混乱する日が近づいてくる。わたしは、あのひとが、あのヒトを幸せにするためにあのひとに作られた、 なのに、そのはずのわたしが、コトバを破ってとどめを刺すように突き落とすのか。大きな矛盾とワタシの正体、 カノジョを幸せにする義務を持った者がとどめを刺す者だったのか。11月○日、何が起こるのか、 不安だけが襲ってきて理性がコントロール出来なくなる。そして、告知の時間から先の時間に待っているものは、 なんだろう、台本を、マニュアルを、誰か、どうすればいい、どうふるまうが、いい・・・

【選んだ理由】(菫)

  琴ちゃんが、ドナ=ウィリアムズさんの本に出会ってから3年。アスペルガー症候群の診断を受けることになったのは、 私が電話で読んでほしいと言われ、この本を読んだのがきっかけでした。琴ちゃんが電話で苦しさを話す中で、 うまく思いが伝わらないのか、「だんだん頭が真っ白になる・・・」と話しつつ、「私、たくさん、共感できた。 この本読んでくれたら、私が分かるかも・・・」と声を絞り出してくれ、題名をメールで送ってくれました。

  当初の私には、「自閉症」という思わぬ世界への第一歩でした。ドナさんが極端な例だったこともあり、 「でも、琴ちゃん・・・こんなことはないんじゃない?」とかなり否定的でした。でも、(私)「目の焦点をぼかして、 きらきらした光と遊ぶなんて、そんなこと普通しないじゃない?」と琴ちゃんと話すと、(こ)「え?しないの?私小さい頃よくしたよ〜。」 (私)「でも学校で笑っていたから、感情はあるじゃん!」(こ)「楽しいみんなの雰囲気に合わせたいと思って、 実はあの頃、笑顔の練習をして笑えるようになったの」(私)「でもでも、何人かが自分の中に存在したりはしないでしょ?」 (こ)「学校時代の私も本当の私とは違うの・・・」と話せば話すほど、確かにドナさんと共通点が多いのです。

  その頃、送ってくれた琴ちゃんが書きためた文章や唄もそれを確信へと導いてくれました。 インターネットで調べると、言語障害を伴わない、アスペルガー症候群という存在も知り、琴ちゃんのもやもやをなくすためにも、 診断を受けたほうが良い!と先生を探しました。

  結果的には、診断を受けてよかったのだと、この唄を読んでも思います。琴ちゃんの中の何人かの存在が、 急に一人になって私の記憶が消えてしまったらどうしようと心配したりもしましたが、それも起こってないようです。 診断直後は「静かな」「混乱」という状態なのだということを知っていただければ、と思い、選びました。


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