“ワタシ”がソトに出始めたのは 05/1/22


このイレモノの中に
たくさんのワタシ
小さい頃から
あの子はこういうときに
この子はああいうときに
あの子この子を出したり引っ込めたり
ここの中で
そうする役目
外に出ることは無かった
コドモと一緒にずっとここに居た
まれに誰も使わなくて良いときに
ずいぶんイレモノが成長したときだけれど
誰も周りに居ないときのホンの一時
パソコンの中の何処かの文を書くとき
人とは関わらない
関わり方を知らない
そして今
人と話す
月に数時間

いつから
ごくわずかでも 外に出るようになったのか
せんせいの前でも
最初に患者になった契約から数年間
この“わたし”じゃなかった
ソト子でも黒子でも無い
また別のワタシ
わたしに近いけれど“わたし”では無いワタシ
“わたし”は誰なんだろう
そして
いつからか
このイレモノをつきにわずかな時間でも
使うようになった
まだ3・4年の最近の事
きっと
きっかけは
ワタシが最初から黒子目的
ワタシが“作っておいてよかった”言われているのを耳にしたとき
窮地に立ったときに助けを求めて
助けるはずと一般的には言われている人にその場で切られたとき
全て消えた

ひとつ のこった
ビジネスでも
こんなどうしようもない患者でも
あきれていても
見捨てずに手をくれた
きっかけだった

少しずつ“わたし”は
外に出た
でもワタシたちの中心では無い そうなってはいけない
“わたし”はその場に応じてワタシタチを配置するマネージャー
大人でも無くソト子でも黒子でも無い
コドモでも無い
でもソト子でありコドモであり黒子でもある
“わたし”は一体誰だろう
宙に浮いたソンザイ
居るけれど居ないソンザイ

ワタシタチがみんな統合すれば
消えるだけなのだろう
それまでの時間居るだけの
ひとつの“わたし”として
このイレモノの中に
いちばん最初から
コドモと一緒に最初から居た
この中に最初からソンザイして
唯役割分担して
消えるためだけに
消えるために
統合のときに消えるために
ソンザイするだけの
誰かわからない誰でも無い“わたし”
消えるために
そのために
今をソンザイする
その日まで


<日記>05年01月頃

年明け最初の、正月以外で最初のソトの仕事の休みの日。 さすがのソト子も疲れたみたい、だからかな、病院へ行くのに眠気が襲う。足は相変わらず痛みはひどくなる一方。 でも、カノジョが靴をはく事を望んで、用意してくれた、はかないといけない、これは私の責任とギム。 Bさんは今日も元気だった、Bさんにも、きらきらの絵の写真をあげた、ありがとうといってくれた。 ソト子の仕事の約束を守る勢いで、ワタシは先生との約束を間に合わせられなかった。とても時間がかかる、 次も、まともにやっても、まとめ切れない。今日と明日も出来ない、無意味な請求書と仕入れの入力があるから。
はっきりといわれた。一年分をまとめて保存をCDにしておかないといけないし・・・でも、必要ですかと訊いてみたら、 どうせ見るのはプリントアウトした物で、CD見ないだろうとのこと。そう言った、そう、解っていても、思い知らされる瞬間。 ワタシは無意味で無駄な労力をしている厄介者、この家族集団の浪費者でヤクタタズの邪魔者。 全く無意味だけどお情けで用意された伝票入力の“シゴト”請求書も見積もりも、手書きだってかまわない物。 ・・・無意味な上に、電気代と時間を無駄にして、ワタシは、ココの、なんでしょう・・・。
ワタシがココでは、ココに属するイミがない、全く意味の無い事をするこの時間がいちばん嫌い、 意味が無いのに居なければならないココがいちばん嫌い大嫌い無意味しかココには無いほかに何も見えない。 オバアチャンも、何だかわからない、オバアチャンにこの家中スケジュール決定、カノジョが以前のような張り切りが薄れてる。 なんだか、イエは疲れるしか何も無いみたいになっていく、初めからそうだった言ってはいけないけど、どうしても、そう感じてしまう。
せんせいに言われて、ワタシが誰か、わからなくなった、ワタシは、いつからココに居るんだろう、今せんせいの前に居るのは、 最初にせんせいにあったわたしのひとりとは違う。“わたし”は、“わたし”だ、コドモだった、 コドモが止まってコドモのままになったときから、コドモから少しずつはなれていった、周りを見てあわせていった、 だからコドモと同じでコドモじゃない“わたし”。
すぐに周りを見てマニュアルと情報収集、対応するワタシタチを作る、 それでひとりでもできたらもうそれ以来外に出ないでずっとコドモと潜んでいた、そうだ、“わたし”はコドモといちばん近い、 みんな“わたし”を知らない、ワタシも“わたし”を知っているだろうか、わたし、だれ・・・。いつから、わずかにこどもからはなれて、 そとにかおをだすようになった、わたし、だれ。

【選んだ理由】(菫)

  琴ちゃんの“わたし”こそが真の琴ちゃんなのかしら?コドモとも違う、 という“わたし”。私もまだ会っていないかもしれません。私としゃべっているときは誰なの?と前に聞いたときは、 「本当の“わたし”にかなり近いとは思う・・・」と話していたので、近いけど違う誰かなんだと思います。
  定型発達の人でも、相手によって表面を繕ったりしますが・・・それとは全然違うのですものね。 違う何人かが存在してしまうのですものね。本当に不思議な世界。それを感じてほしくて選びました。


   TOP  >  唄(ウタ)と日記 > “ワタシ”がソトに出始めたのは    ← 前へ     次へ→