見つけたジブン――認められなかったもの 5/3/19


小さいときからさがしていた
まだ何かわからない
でも何かを たしかに探していた
大きくなった
探し物がわかった そんな気持ち
それは
“ジブン”と“イバショ”だった
“意味”と“リユウ”だった
ずっとわたしの引っ掛かって不安にしていた物
ほしくて 手にしたくって
掴みたくてもつかめずにいる何か
居てもいい許し

“わたし”の
“ワタシタチ”の
何故だかどうしても見つけたくて
見つけないといけない そんな思いと“無い”事への不安と怖さが
どうしようもなく不安にして駆り立てる

出現したときから
記憶の始まりから
探し続ける
“ジブン”と“イバショ”
“意味”と“リユウ”
見つからない事には
存在できない事
してはいけない していれば何かを壊す
それが怖くて それが頭から離れなくって
意味と理由が見つからなければジブンもいない
存在していないのと同じ事
それしか感じることができずに
どうしてもいることができない

キーワードを見つけて
そこからたどる
引っ掛かったコトバ
それを手繰り寄せて見つかった
隣で引いてくれる手が有った
一人で掴みきれないそれを捕まえる事を助けてくれた
大事な手だった
初めての

手に引かれて やっと たどりついてそこで
捕まえた物は自分だった
繋がったバラバラの糸
今までのわからない不安の理由
出来上がらないパズル
それが次々に出来上がっていく
そしてはじめて感じた“アンシン”
解けた疑問
“ジブン”が見つかった証拠 そう思えた
やっと
長い“ジブン”探しの終わり
そうだと思えた
見つかった
見つけたと
思ったのに

未完成のパズルが組みあがっていく
そのはずが
また壊れていた
組んだ端からまたバラバラと

認めない
何があっても
絶対に
今までと変わらない
何がいけない
今までどうりで何がいけない
認めない
何があっても

それしか返ってこないもの
それはパズルの完成を認めないもの
完成してはいけないものと 教えてくるだけだった
完成は
壊して悲しみと罪悪感を与えてしまうものである と

否定しかなかった
わたしの中でも私の外でも
それしか悲しみと苦しみを消すことはできないというように
見つけたジブンが
存在できる環境は否定された
否定しなければいけなかった
護る ためには
そうして それは
これまで以上に不安と恐怖の時間と集団との始まり
どんな状況でも
ココにあるのは“わたし”と言う“ジブン”への絶対否定
それが意味する事を知ってか知らずか
目をそむけた
背けられたジブン
わたしも背けることになった“自分”
それが意味してしまうどうしようもないものは
“わたし”は居ないということ

必要なときだけいればいい黒子
時に道化師 時にピエロ
大人になって子供ではしゃぐ
舞台を壊さないように
時にムスメはアドリブで立つ
居るのはそれだけ 舞台の中は
必要なときに動けばいいイレモノ
“イキル”はどこにも無いということ 無かった事
“わたし” には
それは難しすぎたこと
ただそれだけのこと
存在 意味 リユウ ジブン 世界 イバショ
なにもかもが “ない”と いうこと
否定の対象ということ
それはココで言う“死”と同義語
わたしに届く言葉は それはどうしても
死になさい
そう言ったのと
同じ事
そうなってしまう どうしても
そういう意味でなく言われても
わかっていても
聞こえてしまうわたしの中
何も知らなくても

属する事になった集団 黒子として
ハタラキとしてミツバチは飛びまわる
これが わたしのが代わりに与えられた “意味”
と “リユウ”
そして
死を許さない そういいながら
繰り返す否定文
それはわたしの中に入ってわたしの中でだけ
わたしのコトバで死を意味する音たち
否定文
与えられるものは
それだけ
そして
最初に記憶の始まりのコトバ

ガマンシテイイコデイテネ

それだけ
ただ
それだけ
それだけ
それだけ

それだけ
(2008年6月一部加筆修正)



<日記>05年○月頃

いつもの事に加わって殆ど寝られないせいかココロと体が離れていく。 オバアチャンも何重にもなったコトバを使うようになってカノジョタチの世界へ、黒子は見えない入れない。 いつもどおりにコトバを声を投げてるのにどうして怒るの ココロと気分が違うと同じに受け止めてくれないの。
怒って投げ返して何が悪いのかわからないままで教えられないままでまた繰り返すだけ。はやくさよなら さよならしたい

【選んだ理由】(菫)

  探し物は「ジブンとイバショ」そして「意味とリユウ」だったのですね。 「見つけたジブンが 存在できる環境は否定された」らジブンを見つけたことにならない・・・ イバショも意味もリユウも私が探すの手伝ってあげる!イバショは一人暮らしを始められることによって、 意味とリユウは、琴ちゃんの書いたものが多くの人の役に立つことによって!
琴ちゃんが、穏やかな生活をすることができることを望みます。そして、自分も人の役に立っていると実感できることで、 生きる意味とリユウを感じてくれれば・・・。この気持ちを伝えて、私の選んだ唄の最後としたいと思います。(2006年2月)


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