誰にもいない“watasi”  05/9/4


よろしくね
おねがいね
たすけてあげてね

繰り返されるコトバ
精一杯やっていても
それでも幾度となく繰り返される
やっても やっても なくならない
“休むという事はスケジュールには無いよ“
いくらやっても
絶え間なく来る
“オネガイ”

ハタラキバチは
“巣”の“はたらき”は
ロボットと同じ

オズの魔法使い
木こり
ライオン
何故ココロを頭をカンジョウを
欲しがって旅に出る
ないほうが
知らないことに幸せ
どっちが幸せ
わからない しらない

幸せな世界で

いくらハタラキでもいくら機械でも
なんにでも
寿命と限界それがある
永遠なんてどこにも無い
それでも感情は永遠という物を信じているらしい
永遠を求め続ける
無いとわかっているから
“ありえない”からこそ
無いからこそ求める
求めることは 無いものを探すこと
そうかもしれない

信じる事は
聞いたコトバをそのまま受け止める事
それ以外の意味なんて知らない
無機物有機物
なんにでも必ず有る限界
それを超えてすら
増えていく増え続ける
減る事はなく
増えて行く事しかない“オネガイ”
影の中でのハタラキとして
舞台のクロ子として
誰にも知られてはいけない
姿を隠して
進行を担うもの
わたしには不相応でも
表に見えれば此処の“荷”を増やしてしまう
だから
せめて影に
光たちの分必要な影に

たくさんの“オネガイ”だけ
続いていく
大丈夫か

いままでに
有っただろうか
クロ子ハタラキそれ自身への
“大丈夫か”
主語がない
何が大丈夫
シゴトが大丈夫
だから
ダイジョウブデス

ダイジョウブ
シナリオどおりのコトバ
その後に続くのは
次の“オネガイ”
“あのヒトをよろしくね”
“たすけてね”
そして
こわれても
あるコトバは

“ガンバレ”

いくら限界に達しようとも
シゴトガアル
掛けられるコトバは“ガンバレ”

どこまでいけば
なくなるのだろう
どれくらいまでガンバレとオネガイ
何処までも続いていく
それ以外の
本当が
見つからない
聞えない
本物の

ダイジョウブ・・・?
主語をください
進行していることに対するものではない主語を
watasiへの
わたしへの
ワタシタチへの

ダイジョウブ
もういいよ
watasiわたしワタシ ワタシタチ
何処にもいない
誰にもいない
いるのはロボット
watasiという生き物は
何処にも
誰にも


<日記>05年9月頃

また、内緒で公のソボのオネガイ。土日のお風呂は、ワタシにやって欲しいと。カノジョは所詮他人ソボが言った。実の親以上に尽くしても最後は“血のつながり”という本能の性。
カノジョはいつも動いている、あなたなら、モンダイないから。これからそうしてと、ソボはクロ子のワタシにいう。また、クロ子は、影の仕事が増えていく。
頭が痛い、苦しい、また、頭の中で、石がコツンコツン。
繰り返すたびに 石がこつんこつん 多くなる

【コメント】(琴)

   挨拶と同じにかけられることば「お願いね、頼むね」何をどうお願いかわからないからひたすらに何でもが対象になっていく言葉。
  だいじょうぶ・・・主語はないのに気軽に使われる言葉。
  誰も、これを言われると大丈夫ではなくても「大丈夫と」答える。
  でも主語がない 何に対して大丈夫かと聞かれ、答える人は何を大丈夫と答えるのだろう それでも会話は成立して事象は滞りなく進んでいく不思議。
(2008年7月  記)


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