答えがない事が答え  05/9/5


いつものパターンだね
いつもそれしかないの
みんなそれで過ぎていく
道徳“ドウトク”
倫理“リンリ”
不思議な
矛盾した
“戒律”
そういうものに触れるコトバは
それを発する事に成ると
無口になる
別のコトバをいう

返らない答え
返らない返事
それは
戒律に触れる物
問いかけに対する答えのコトバは
その意味するものが
言ってはいけないコトバ
大きな背負いたくない責任
それをみんな
ひっくるめて
そして
戒律の触れない程度の違う言葉も見つからない
それをいうには重すぎて
一言で済む簡単なことでも
適切であっても
罪を背負う危険と引き換え
換わりに出るのは
見つかるときなら
言うべきことは言ったのに
そういうための
免罪符

口に出すには重すぎて
一言で済むことがいえない
だからそういうときには
答えはいつも
おなじ“答え”
ほかにできないから
重すぎて
背負うには弱すぎて
だから

だから
答えは返る事は無い
答えがない
返らない答えが質問の答え
それが返事
戒律に触れる重たい返事は
返らない
だから
質問の答えは
無言の

“イエス”

終わりにしよう
何も見えなくなって何も感じなくなっていく
そんな世界のそんな時間の中

コドモは
作れなくなったクスダマ
ありがとうが
いらない
どうしよう に
変わっていく瞬間
何が違ったのかわからないまま
ただ最後には
残るのはいつも
いらない

折り紙はどうして生れてきたの
捨てられるだけの者達
要らなくなったら捨てるだけ
なのにどうしてあるのだろう
散らばるきらきら
色とりどりの折り紙
このままで朽ちるのと
折り紙として折られてから
捨てられるのと
どっちが幸せなんだろう

きらきらだけの世界
トウメイな世界
何も見えない感じない
全てまだ
何もなかった
自分だけの世界しか
それが全てだった
ほかに何もなかったままのコドモが
遊んでいる
きらきらが光るトウメイな世界で
止まったまま

育つという物がないコドモ
いつも必ず意識の隅で
たたずむ
何かを探し続けて

還ろう還ろう
この子の中へ
トウメイな世界
この子の中へ


<日記>05年9月頃

頭、いたい、気分、おかしい、ずっと、このまま。みんなが走り回る日が続く 今は誰。みんなが混乱 与えられた、もらうことが出来た仕事。
もう、みんなわからない
繰り返したたくさんの質問  繰り返したたくさんの無言の音と空気
そういう種類の質問にはそういう反応
答えがない、それが、答え

【コメント】(琴)

   問うた答えが返らない 言葉にしてはいけない言葉 一言で済むのに互いにわかっていても理性がそれをとどめる言葉がたくさんありすぎて。
  使われる前に捨てられるのと、使うつもりだったけど使うことなくなって捨てられるのと、人も物も、どっちがうれしいんだろう。
  その答えも、還らない。
(2008年7月  記)


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