この世で最もありがたいもの  05/5/28


終わりと言う物
それは“死” それに代表される物
これがあるから終わりがあるから
だからこそ生きるができる
だからこそ生きたいと切望する
だからこの時間が大事と感じる
幸せというものを感じられる
カンジョウを持った生き物にとってそれが特権
特権
“特権”・・・?

感情
それがあるからもたらされるもの
それがあるから
“感じる”ことが出来る
“なにか” を

それが最大の喜び
それには終わりと言うものが
それを感じることの影
ついになって必ずある 何処かに
どちらかを感じない限り知らないまま 最後まで

だから
何にでもある“終わり”
その最たる物
“死”それに代表されるすべての終わり
死があればこそはじめて感じられる事
終わりが無かったら
死や苦しみという過程が見えなかったら

幸せ

それを感じてそれを継続
“死という終わり”それから遠く離れて そうであることへの願い
そのときそうであっても
それを永久に続けたいだろうか
永久に生き続ける事
すべてのことに終わりが無いというもの
永遠
果てしの無い
永遠
それは シアワセ・・・?

最大の苦しみ
幸せ 生きる
みんな終わりが “死”に代表される表現される
その終わり
それががあるからこそはじめて感じる事
しあわせ
それは
なんだろう

「幸せになるために」
そう言って
そういう“幸せ”になるために
なにが? なにを?
決まっているの
そして 誰もが言う形の シアワセ
ソウナラナクテハイケナイノ・・・?

わからないのに
そうなるために
ひたすら進む
わからない
わから ない ない

どうして気付かない
どうして目をそらす
どうして忌み嫌う
死というものほど
終わりがあるということほど
幸せなものは
他に何一つ無いと言う事に

終わりが必ずある
なんにでも
終わりがあることの
あることを知ることの そうできることの

”しあわせ“


<日記>05年5月頃

今日はわたしが医者に行く日、ほんとうはこの日くらいはかつて住んだ此処で、かつて、住んでいたアパートの、わたしで居た場所で、懐かしい山や公園で暗くなるまで居たい、でもいつも買物とソボの内緒で公の頼まれ事、結局急いであのイエに行って義務を果たし、漸く好きな薄暗がりの時間。この時間が好きだった、このくらいの明るさが好きだった でも、遅くなってはいけない、すぐに名古屋に戻ることがシゴト
すきだった、すき・・・好きだったのか、わからない、からから と、しんとした、思考の止まる時間。たそがれ時。
この日々が一体いつまで繰り返されるのだろうと途方もない感覚になる。唯一、生命の寿命という終わりがあることが分かっている、それが、救いに感じてしまう

【コメント】(琴)

   最初から聞かなければ 最初から無ければ 知らずに済んだ うれしいと悲しい どんな苦しいでも最後は必ず“死”という終わりがあるから耐えられることを無意識にあるから、人は生きるをしていられて、それを嬉しく幸せに感じることができるのに、どうして“死”を忌み嫌うのだろう。
  どんなものでも、“対になった一方”を知らなければ、それ自体を何も感じることも知ることも、最初からできないというのに…。
  一方だけを知りうることなど、あり得ないことなのに、それを求めるのだろう。
(2008年7月 記)


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