たくさんの正当な“コロス”  05/12/20


オオゼイノ
ミナサンノタメニ
シアワセヲマモルタメニ
“生かす”タメニ
ワタシタチハ“イル”ノデス

“公”という物がある
たくさんすぎて
取り留めがないから
小さな集団を
家族とするならば
そのひとつずつの“ハハ親”役として

“アナタタチノタメニイルノデス”
“アナタタチノタメニヤルノデス”
「ダカラ・・・」

そういって
その人たちは
“飼育”する

“世話”をしてあげないといけないね
でもそれには
“助けて”もらわないといけないね
そういって

“育てて”いるのです
あなたたちがいるから
ワタシタチがイルコトガできるのです

“上” と “下”
あるのなら
世話するヒトは
自らを
世話されるという人たちの
下だと言い張る
そういって
あなたたちが上だといいながら
“上たち”を“つない”で
そして飼育を続ける
飼い続けて
必要なときまで

助けるから 生かすから
そのために
わたし達に必要な物を ささげて と えがお
それは
クスリ マヤク
合法ドラック
“オカネ”という名の

そう言って少しずつ
足りない足りないまだ足りない
もっともっと
貰わなくては
あなたたちのためには出来なくなってしまうのです
“飼い”続ける
今飼っている物がもう必要な物を取れなくなると
繁殖を

ヒトは生きる
肉や野菜を
殺して自分を生かすために増やして飼育する
飼育する物は生きる
自分たちが生きるために
あなたたちの為にと育て続ける
モクヒョウの物をとり終えたら
おわり

飼育されるものは
知らずに有り難がって

公は民の下です
公は民に養われているのです
そう掲げて
上と下
ホントウはどっち

コロスは続く
大小さまざま
上と下
どっちだろう
何処だろう
どこにもない
ホントウは

無重力だから

何も“とれない”ものは
すてる
それが飼い主の権限

コロス
たくさんのコロス
無重力だから


<日記>05年12月頃

いくら休んでも、からだが重く、疲労感が強い、土曜日に医者から戻ってから、ずっと、もうひどく疲れて動く事が辛く、横になっていることを許してくれたカノジョに感謝して、そうしていたのに、どうにもならない
ソト子は、もう、嫌でも、言葉と指示を破る事が禁止事項だから、一人、もくもくと動き続ける。周りが、おしゃべりしている間も、停まることなく、もう、みんな、止まる事だけが、願い
どうして働いているんだろう、そうして何をささげているんだろう・・・死ぬために・・・?

【コメント】(琴)

   テレビで流れる、報道が流れる、お金が足りない、だから、養えない国民をこれ以上…そういう一方で、ぜいたくづくしをしながら会議中に眠る“公”という人たち
   足りないのに、どうして、この人たちは、潤っているの、生きると死ぬの間で分からなくなっている、わたしたちからもっとくれなければ何もできないんだとって、 言いながら…規則って、なんだろう、この人たちが足りないモノって、実はなんだろう、そうして、どこまで足りないと言いながら、 “公”という人は一握りの人が最高の暮らしをするために、わたしたちは、生きて動いてささげるんだろう…いつまでも…
   どうしても、足りないからと始まったって、自立支援が理解できない、今の、社会の本当に足りないものがわからない、 取るべきところは、実は分かっているのに見ない社会が、“公”たちが、わからない…
(2008年7月 記)


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