はじまりはゼツボウ  06/1/7


何かを期待しない方がいい
誰かに期待しないほうが

ずるいよね
でも
答えのない期待に
還ってこないものに待ち続けることが苦痛すぎて
期待して外れることに疲れてしまった時の
最終手段を取るしかないの

最初からなにも求めない
最初から手をつなぐことは…

ダイジョウブ?
一応合言葉の声をかける
問いかけた方は無意識に知っている
返ってくるのは“ダイジョウブ”だ
だから返す方は答える
返す言葉は“ダイジョウブ”だ
“合言葉”だから

心配ない
そう解っているから
大丈夫と返ってくることを知っているから
本当に苦しくても言える相手と言えない相手
言えない方がたくさんで
心壊れて大丈夫でなくても大丈夫
人はそれを聴いて
ちゃんと心配はした
そういう免罪符を手にしていくだけ
だって
ほんとうは
誰もが自分
最後は自分に戻っていくから
ゆとりがあるときだけの“手”

だから
期待しない
そうばかりじゃない
それだけでない
本当もどこかにある
わかっていても
どうしても
当たりがわからない
ロシアン・ルーレット
当たりが混ざっているのかいないのか
みえない だから
期待しない

怖くて
期待して
そのハズレが
そればかりが多くて
そのうちにわかる時が来るという“そのうち”が
こなくて
疲れて
期待に疲れて
だから
期待から離れて最初から

そこから始まる
最初から無い
そういう
ゼツボウ
そこから
初めて始まる

“でもひょっとして・・・”
そうしてはじめて
期待が
うまれて行く
きぼうが

そこから始まる
ゼツボウが無かったら
生まれるはずのないものたち
だってみんな
“自分”
それで“ホントウ”はいっぱいにできているのだから


<日記>06年01月頃

雪だ雪、さよなら、・・・させてくれないだろう、路が無いのに終わりが無い、使い捨てでも捨ててくれない、使い尽くす方がいいのかな、苦しくなる前の捨てた方がいいのかな。
クロ子も、何でもいいから色々薬を飲めば、“調整が利く”事がわかった、後の反動が効き目の何倍も来るのはイツモノコトで、苦しいが表に出ないから、仕事しか知らないから、みんな気がつかないし、みんな自分しかない。だから、回りも、苦しいといっても、すぐには信じないし、ワタシタチも、客観的な表現で行っちゃうから、余計みたい。
もう日が照って、雪は解けて、道は滑らない、たとえ滑っても、その方がいいと思っていた。どうして。電話をしてはいけないので、病院の日、スタッドレスの車を貸してくれたカレ。メールで、カレに、アリガトウございますおせわになります、と送った。本心は、車ごと一緒に滑ってもいいつもりでいた。
せんせいは、今日は、話だった。話しをしないで薬屋さんでいいという人もたくさんいると言っていた、どうしてかわからない、わたしがおかしいのかな。だから、この1時間もらえることでさえ、なんだか短い。わたしがやっと、伝わるかもしれないコトバが出始めたころに、いつも時間になるから。みんな、コトバが要らないのか、すぐ作ることができるから、それでいいのかな。
今日も、いえなかった。わかったことは、これが、時代。全て、買えないモノは無いカクジツな物が“金というマヤク”で、それが無ければ、せんせいがいう、この“病院のこの部屋”にいる間はすくなくとも主人公“という物も、”買え“なくなるだけ。この空間も、金が支配しているから、金が無いと、医者にはいけないから。ビジネスで、心でないもの
疲れていた。[大丈夫?] それになんて答えればいいんだろう、大丈夫です、意外に。

【コメント】(琴)

   いつからだろう、いつも、「いつかきっと、気が付いてくれる、いつかきっと、見つけてくれる」そうならないと知りながら、それでもどこかで期待して、何かに期待して、いい結果を期待して何かをしていた。
  そうしてそれで、期待は叶うことはなく、期待して叶わずに落ち込むことに疲れて、最初から期待しない方がいいことに気がついて、そうするようになったのは。
いつからだろう。
  そうして私は今でも、期待しないで物事にあたり、いいことに出会った時の喜びを感じたいと願って、何かをする時最初から期待しないをしていく。
(2008年7月 記)


   TOP   >  唄(ウタ)と日記   >  はじまりはゼツボウ    ← 前へ      次へ→