線の端と端  06/1/9


全ての“事象”には
全てその“対極”がある
一本の線が連続してあって
そのスタートと終わりにあると見えるもの

それを何処まで“見る”かは
それぞれの自由

みんな好きなほうを見る
それは殆ど同じ方向にむかっていて
対極とバランスが取れなくて
“トウダ”―“選別”を始めた
そして
“好きな”ほうへいった人たちは
反対からは目をそらす
“見えない”のか
“見ない”のか

どうして“線”にしたがるのだろう
裏と表
光と影
対極の物
連続した中間があるうえでの
正反対の物
だから線の両端

でも
どちらも必ず片方があるから
はじめてそれがあって
“見える”ものになる

対があるから見えるもの
対があるから気がつくもの
見えないまだある“何か”たちは
まだどちらかに 誰も気がつかないだけで

細菌は培地ではコロニーを作る
コロニーで細菌はDNAが一本の直線のままでは 生存存在できないでいる
コロニーにはなる事はできず“見えない”で培地のどこか
“線”ではなく端が繋がって
“円”にならないと始まらない
円にならないと何も

でも一箇所切って
線にしないと
“流れ”ても
“見えない”

円でないと始まらないDNAは
線にしないと
流れて光の中でその存在を
確認できない

おかしいね
円でなければ本当でないのに
線にならないと
見えなくなる

DNAも
日々の事象も
そして
線しか見えないから
同じ同一の物が
対極に逝ってしまう
そしてそれで確認する
それしかできない

ほんとうに
そうなのかな
対極にしたいから線でないと見えないのか
線でないと見えないから対極になったのか
どっちなのか

どこにあっても
同時に必ずそこにある
それだけは
かわらない
変えられない
無くてはならないものなのに
見えるために


<日記>06年01月頃

始めた仕事は、停まれない。止めれば、“死んで”しまうから、最後まで終えないと、途中で保存の限界が短い。遺伝子たち。私も止まるともう一度動き出すことが難しい。それに“入りこむまでの時間が、スイッチがうまく利かない。
DNA、これが、“コロニー”として目に見えるようになるには、線のままのDNAではできない。円になってはじめて活動する、遺伝子の不思議
止められない、私は、影。そうして、そと子は、黒子でいる時間を少なくするから、黒子は舞台裏の時間を休みなくただひたすらに走り回る

【コメント】(琴)

   物事はすべてが一対。
  対極にあってそう見える物の組み合わせで成り立つ事象たち。
  でもそれはみんな表裏一体。
  裏と表という対極の、線の両端は違うもので実は同じもの。
  両端はリンクして成り立っているのに、線にして裏と表という反対のものにして、好きな方しか見ないようになるのはどうしてだろう。
  リンクしなければ、始まらないのに。
(2008年08月 記)


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