パラサイト――共生・寄生  06/1/16


反対のもう一つがある
だからこそ
もうひとつを求めてしまう
例えそれが
何があっても手に入らない物でも
そうと知っても
知らなくても
遠ければ遠いほどに
それに向う思いは強くなる

絶対なモノ
カクジツな物
変わらないモノ
確かなもの

ありえない
あるはずが無い
だからこそ
求めて止まず
見えなくなっていく
求めるほどに
何かをなくしていく

なくした何か
なくしたものも
それが何だったのか
それも
判らないままに
いつか忘れられて
消えていった
消えていく
たくさんの
何か

そして
“共生”という名の “寄生”をし合う

パラサイト

それが
イキル
それが
生命の源
自己を“イキル”“生きる”“活きる”“居きる”“逝きる”・・・
最大の本能

それには終わりがあるからこそ
だからこそ
成立
なのに
そのはずなのに
“それ”が見えるたびに
宿主を増やしていく
宿主を繋ぐ事に務めていく
少しでも
危機にさらされた自己を守ろうと

くりかえす
寄生同士の駆け引き
それが
生きる 活きる イキル・・・

誰かが誰かに手を延べる
そしてその手を誰かが掴む
そうしてそれを
確かでは無いから
消える事を知っているから
だからこそ
どうしても
掴んでしまう
すがってしまう

“確かなもの”
確かだからいつもあるもの
そうならば
“掴み続けはしない”

なぜならいつでも
つかみたいときに掴むだけなことだから
すがりたいときだけすがればいいだけだから

そうで無いからこそ
手当たり次第に掴んでいく
延べられたら最後
延べたら最後
伸ばしたら最後
つかまれたら最後
互いに手を解く事が
その理由探しが苦しみになるから
だから

中途半端に延べる事は
何かを壊していくだけになる
つかんだら最後消えてしまうだけの手
後に残るのはつかんでしまった後悔と大きな喪失感と絶望
ゼツボウだけが
そこに残る
絶望
孤独
こわした
こわれた
失くしてしまった
溢れ続ける
終わりのない後悔と孤独の波の中で

手を伸ばすときは
自分が十分なとき
そのときにしか
生命体は
自己意外に目が見えなくなってしまいがち
そうでない物もあるだろう
でも
どうしても最後の最後は
自己へ還る
悲しい性
それがイキル
生命の
生まれた意味の
源の本能

だから互いに共生寄生
だから
常に何かに寄生
そうでなければ
イキルは
成立しない

そういうふうに
命というものが繋がっていく
体と呼ばれる入れ物を乗り継いで
手を延べたり戻したり
その繰り返し

“永遠”
いくら求めても
それだけはありえない事だけが確かなこと
それだけが
確かすぎて解っているから
だから目をつぶって
ゆとりに寄生しあって
イキルを続けていく

そんな生命
そんな生きる
それが
光になっていく

悲しい性の元で
わずかな分け前を奪い合いながら
生きる
生命体の
永遠の悲しみ
それが
生きる


ずっと変わらず見つめ続ける
イヴはずっと
何かを待って
何度も繰り返しながら
その何かを
待って
ずっとずっと
私達の中に
生命体の中に
ともに乗り継ぎながら
最初の“命”から変わらず
ずっと

イキル
なんて
悲しい宿命
そしてなんて


迷って迷ってさまよって
手探りで自己を続けていく物たち
パラサイトでも
分け合って
満ちた自己の少ない分け前

いつか
そうでないもの
穏やかに
与え合うセカイ
分け前でなく
それを
願いながら
悲しい共生を
ほんとうは
どこかで
どこか片隅で
ずっと・・・

速い流れの中
見え隠れする どうしてもまだ ささやかなゆとり
それに群がるたくさんの手
必要とする手が多すぎて
延べる手が足りない時代
そして奪い合い
そのときは
夜叉にもなる
そして
それを更に分け合う者
さっきまでの夜叉は
天使になる
寄生して
奪った物を
それでどこかで
寄生が
いつしかどこかで
共生していく
そして
分け前を見落とさないように
どこかで目を光らせる
寄生しながら
共生のために

例えそれが
何かの生命を奪う
ココロを殺す
そういうものであっても
イキルコトの
当たり前の
ことだから

誰かの主人公には
どこかで誰かが陰になる事
それが
イキルだから
当たり前の事だから
だから

ただ
対になった一方を探して求めているだけの事
ありえないものであればあるほど
それに夢を持ってしまうだけのこと
当たり前のことをみんな
しているだけ
それだけのこと
ただ
それだけのこと

夢を見た
ただ
夢を
見た
長いようで
短い
ひとつの



【コメント】(琴)

   「如何してもっと人を頼らないの」
「そんなに信用できないの」

  そんな言葉を言われるときがどうしてもある、でも、違う、できないだけ。
  でもできないことすら言うことができない、それを説明できない、理解は求められずに変な人で終わる。
  ただ、怖いだけなのに 掴んでそれを失うことが。
  つかんだ途端に消えて、手がまたその時だけのもので終わるものと知ってしまうことが。
  手を、それにしがみつけばいいだろう、人は知らずのうちに、そうして、たがいにしがみついて、寄生、共生して、生きているのに。
  わかって居るのに、貴重なものに思えて、何度も無くしてきたことが耐えられなくて、どうしても述べられる手には、つかめずに見つめていることしかできないでいる。ときにはそういう手さえどこにも見当たらない中で。
  
  わからない、すがりたいのにすがることができない怖くて仕方のない自己矛盾だらけの中で、“手”を探しながら、つかむこと“ない”、できない“手を”。
(2008年08月 記)


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