それぞれの背中 それぞれの荷物  6/10/24


せなかに
そのてに
持っているもの
それはなに

いつから持っているのか
最初からあったもの
気がついたら持つことになっていたもの
小さかったのに
どんどん大きく
どんどん重く
あるいは逆に
変わっていくもの
そして突然
現れて最後まで

背に負って
手に持って
それぞれ持っている
大きさはさまざま
大きいものを持っている人
大変そうだね
小さいのばかり持っている人
少なくていいね

いろんな声を聞きながら
みんな歩いていく
途中で休む人たち
休みたくても休めない人たち

休めるはずなのに
そうしていることを許されない声

みな口々に
ダレデモオオカレスクナカレ

大きいにもつ
タイヘンネ
小さい荷物
ソレクライデ ナニ ヤスンデ アマエテイル

中身を見たの
持ち主にしか
見えない中身 感じられない重さ
それぞれの荷物
見えるもので
見えるもの
その入れ物の大きさ
それだけが判断材料
中身はこうだと語っても
それを”一般“という物差しに載せる
このものさしではこの場所だから
その重さは
これくらいでしょう

他人の荷物の判断の仕方

もしも
大きい荷物の中身は綿で
小さい荷物の中身は
鉛 水銀 隕石

見えないから
持っている人には中身も重さもわからないから

重そうとしていれば
ソレクライデナニ
アノヒトハアンナニオオキイ
わたしのは中身は水銀で
あの他人のは
わたしには
綿のようなもの

でも
それを覗く人には
そのひとの物差しで計って
カミキレ クライニ イチ スルネ

その人には見えない
だから
そうだね
そうかもね
ソウダヨ ソレクライデ
ガンバラナキャ
モットオオキイモノタクサンノヒト
イルノニ

そうだね
でもその人には
その手に持った小さい紙袋の中身と
それが見えないくらいに大きな背中のかばんと
どっちを重く
感じているのだろう

誰にもわからない
ただ
みんな歩いていくだけ
耐え切れなくなっても
その持っている荷物を
本人のはかりでは見ない

同じ経験でも
同じに感じることでさえ
それまでの背景が違えば
違う重さ

他人の荷物の重さは
その人にしかワカラナイ
そうできていて
それでしかなくなってある
だから荷物

それでも
みんなそうしないだけで
少しでも
感じる方法
別のことでも
同じ意味を持つものを
持ってみて
その人が持っているものを感じること

みんな自分の荷物を持って
忙しく先へ進む

本人にしか
わからない
大きさと重さが同じではないことも
わからずに

忙しく

少し立ち止まれる他人が
この中で
どれくらいいるだろうか

この
自分で精一杯の中で

この
忙しすぎる
流れの中で

せめて
物差しを変えてくれませんか
せめて
見た目と重さが
同じではないと
それだけでいい
片隅に
とどめてくれたら
大きさや見た目にとらわれず
目を閉じて
見えないものを見る目を
開くことを思い出してくれたら

それだけで
この足はどれくらい
かるくなるだろう


足が痛いと訴える人
だから何でも人に頼む人
そして
そうしてもらって当たり前と
胸を張る人
その人の荷物は大きいだろう
見る人も
こんな大きいからと
立ち止まるだろう
でも
大きいけれど
それを持とうとその人は
しているだろうか
したかもしれない
しようとはしているのかもしれない
捨てているわけでも
見せているわけでもない
そうとしか扱えないだけ

ただ
見た目が大きい
見てわかる
持ちきれないだろうから・・・

そうしてそれを見る人は
自分と見比べ
立ち止まるだろう

それでいいの
その人が
心のそこから 到底持てない“何か“
なのかも 確かめもせず

そのすぐ横で
目に見えないだけで
とんでもなく重いものを
小さな袋にもって
どうにもできずにうずくまっていても

どちらにも
伸べられるべき手が
見た目が重そうでないだけで
どれだけ苦しいものか
その人にとっては絶望的な生涯の荷物であっても
見た目と“一般”のものさしに合わなければ
小さな荷物と戦っている人に
どれだけの人が手を延べるだろう
隣で大きな荷物と座っている人と同じ
あるいは
もっと重く長いもの
たとえそうであっても
見えないというだけで
はたして
“手は”
立ち止まる人は

となりのひとと
同じくらい手が差し出されるべきであるのに


見えるものだけで判断すると
そんなことも
ありはしないか

・・・いくら重さにつぶれそうでも
見てわからない荷物だと・・・

忙しい中
忘れてしまった
もうひとつの眼
それを
開いて両目で見る人が
もうすこし
いてくれたら

セカイはどれだけ
軽くなるだろう
セカイはどれだけ
あたたかく


<日記>06年10月ごろ

仕事は上から下まで、裏まで、切り詰めて限界への挑戦ナンテ作り話にしかきこえない。わたしも今の仕事にしがみついているからだめなだけと思われているから。
たまたま最後にできることができた職種がこれだっただけで、それでも、この性質を知らない人が上司になれば、当然本当に何もなくなる・・・そういうものだなんて、誰がわかるだろう。あまりにも、わたしにだけきつく当たるので、耐え切れずに、言ってしまった。 もしあなたのムスメが、障害があって仕事につくことが困難な障害であったら、それでもわたしに言うように、シゴトさがせとかがんばれ、誰でも・・・っていえるの。
予想通りの答えだった。
「何それ。まったく次元が違う。あなたはここで仕事をしているし、体にどこにも障害ないし、ちゃんとここでできているじゃない」、・・・・談笑。
「“五体満足”、その場のできるできない」。見えるものがすべてを決める。
見えないものは、認めない
すべてがいいわけ、すべてが。それが一般大多数
見えるものなんて、光の膨大な波長スペクトルのほんのわずかしかないのにね。

【コメント】(琴)

  中身が見えないと、荷物は小さいと軽いもの、大きいと重いものに見えてしまう。
 大きな綿の袋を背負った人を見て、大変そうだね、小さいけれど石をいっぱい詰めた袋を持っている人にはいくら疲れて大変そうでも知らん顔になりがちな周りの人たち。
 どうか気がついてください、見えないだけで、持っている荷物は大きさにかかわらず重さが違うということを
 小さくてもそれがとんでもなく重かったりすることもあるということを…
(2010年10月記)


   TOP  >  唄(ウタ)と日記  >それぞれの背中それぞれの荷物  ← 前へ     次へ→