おいていく時間  7/6/― 


ずっと子供が居る
時間が止まった 育つことの無い
こども
いつも
体という名の器が刻む時間と
それに合わせようとして
それでも地球の時間に合わずに
別の惑星で一組の
太陽の周りの惑星のよう

いつも居る
子供が

わたしたちの 服の一部
しっかりつかんで
すがって
うつむいて
上目使いで 後ろに隠れて
人が近いと近く
一定よりも近く
そして温度と固さ
決まった距離
そのたびに
影に背中からおどおどのぞく

誰も
見えない
見つけられない
見つからない
知らない
知ることは無いだろう
こども
“わたし”のなかにいる
いいよ を
聞きたかった
“わたし”

小さな子供のまま
ワタシタチにしか
しがみつくことも出来ない
いつも
泣きそうな顔しかしない
しらない
できない

わたしも
泣きたい
でも
いろいろありすぎて
それぞれに
”泣きたいというもの”

そうしたいのに
それすら
出来ない時間で
泣き方すら
もうわからない
わからなかったのか
忘れたのかさえ
わからない

“泣く“ということも
できないまま ぐるぐる


見つけてください
子供を
“わたし”を
永遠の
こども
体の時間は大きくても
代わりのピエロとコントロールは動いても
子供は
ずっと
そこで
そのまま

それは
“わたし”の
“わたし”

見つけてほしかった
見つけてください
見つけてほしいと
見つけてと
ずっと
見つけてほしかった

だれか

でも
それは重すぎて
水は
あふれて流れても
器は
受け止められない

ただ
あふれる
流れて消える
器は
水が
壊して割れてしまったから


<日記>06年7月ごろ

わたしは、彼女たちに、コドモが「したいこと」をしたかった。でも、どうしてもできず、彼女たちのところに来ると、ソト子みたいにスイッチが入って、その敷地内に入るとムスメとクロ子にしかなれなかった。
わたしは、ただ、彼女たちの、ここに泊まりに来てもいいという好意に、してはいけない“甘え”をしてしまっただけだった。
眠ることができなかったようで、とうとう、睡眠不足だと現れるという、目の下が黒くなる、“クマ”がはっきりとできた。

<日記>06年7月ごろ
泣いた さびしい こんなに いままで こんなこと なかったのに どうして
知らないことの幸せと 知ったことの幸せとそれがもたらすもの。中途半端に有るならば  どうして
そのうちわかるよと、いつも、わたしの問いかけに帰ってくるものは、「経験したこと・聞いた話から、理解しなさい」という意味じゃなくって、”自然にわいてくる気持ちや感情だから、今はまだ育たなくても、時間とともに、誰もがフツウは育つ、わかる、持つものだよ”と言う、”そのうちわかるよ”だから、わかるときは、こないこと。そして、”診断をしてくれた専門医も、発達障害は、育たなかった部分、感情、それが、そのうちわかるということは、残念だけど、無いとしかいえない”だから、”そのうち”は、いつまでも来ることはなかったし、最後まで、わからない感情はわからないという事実を受け入れるしかなかった
行動に移せば、トラブル、何もしなければ、ココロは壊れていく。落ち着くように他のモノで置き換えることすら出来ず、どうしても、これで無ければ落ち着かないというココロ。置き換えが出来るという作業が可能な”普通”が、出来る人が、うらやましくて、尊敬の対象だった、いまも、これからも。置き換えも、行動も、出来無いから、繰り返してしまったときの自分を許すこともできない。だから、罪を増やしつづけて不安定になるばかり

【コメント】(琴)

 私の中に子供がいます 誰にも前に出られないこども 永遠のこども これがわたしです でもそれを出してはいけない
 本当に泣きたくて仕方がない でもそのうち 泣き方すら忘れてしまった
(2010年07月記)


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