時間が叶うなら  07/4/15


もしも叶うなら
置き去りのままのココロと感情とおなじ時間に
このからだと
理性と頭を
どうか
いちにちでいいから
還りたい
そうして
そうならば叶う
イツデモ有る手をつかみたくて暴れる心を
おだやかに
安心して眠ることが出来る


こどもでしかないならば
頭も体も心も理性も何もかも
みんな大事なココロの根っこを置き去りに
離れるばかりですべてがむつかしくなるだけ
どんどんつかみたい手も場所も
なくして壊していくだけ
そうしたくないとすればするほど

子供でしかないならば
子供に帰りたい
離れていくばかりの
すべてのものの
離れた時間を

風だけが冷たいから


わたしをみつけてください
どこにも居ないわたしを
みつけてください
どこかに
わたしの中の一番奥の
“わたし“の“て”を
とってください
あの子達でない
あの子達の一番奥の
わたしを
みつけてください

すごしずつあいていく
冷たい穴が
おおきくなる前に
闇の中に消えていく前に
まちがいでもいいから
ぐうぜんでもいいから
いちどでいい
この“て”を
みつけてください
さいごに
どこにもいなかったわたしを

かぜがつめたい
冷たい穴で
完全に
消えて闇の
中へ

わたしを見つけてください
さいごの
その瞬間に
一瞬でも
いちど

つつまれたかった
感じたかった
しりたかった
包んでくれる
あい


<日記>07年04月ごろ

夢の子供 子供が泣いてる 友達が ばいばい
外の世界に送る子供の声、あれから、メールの中には、何一つ答えが無い。子供は、居ない、いないのに、子供の問題は、進んでいく。子供のことで、子供がいないのに・・・メール、途切れた、メール・・・みんな忙しい、いそがしくて、いそがしすぎる
今日は、桜、あの、山に咲く。最後に見てから、どれくらい経ったろう。もう2度と、あそこのあの桜は、見ることはないつもりでした。
あんまりいろいろとありすぎて、何もかもを壊しそうで、わたしもすでに何人にもなっていて、最後の手段として、壊さないでいるために、壊してはいけないものを、壊してしまうことの無いように、そして、許されることも誰も見ることの無い、否定しかなかった、わたしの中に閉じ込めるしかなかった、本体の、”小さな子供”最後まで子供のままでしかない、わたしたちも、ソトで覚えたことと何とか反射できるようになった、分析してできるようになったものだけで、からだの年齢とはどうしても不一致で、どうしても、子供。
お互いに壊すよりは、もう、何も壊したくないから、だから、許される距離で、そして、私が、生きていることを始めて感じることができたこの県で、最後にたどり着きたかった、そこで、本体の子供を部屋の中で遊ばせて、もう、世界の邪魔をしたくなかった。それが、どこでおかしくなったのか、こんな中途半端で鎖を引きずっている。 けっきょく実家との往復、ここでは、鳥も飼うことができ無い、町内会、アパートでさえ・・・息苦しくなった。
大きなコートがほしいのは、子供が、何かに包まれていたいという思いから来るもの。見せかけの理性で、生きている、ただの幼い子供。護ってくれる手を、まだ、護られていなければいけない幼子がつかもうと、わめいて安心してすがりたい眠りたい、あったかい何かを、すでに求めることはできないありえない”イツデモイイヨ”の”手”をいつも持っていたい子供。
そういう生き物です。ドウシテいいのかわからない。・・・それでも、まだ
怖いのは、イツデモイイヨ。イツデモ、ほんとうに、いいよ、は、ありえないから。それでも子供はほんとうに”いつでも良いよ”をうけとめててしまうから。それで、もう、互いに壊れていくことは、罪悪感を、償いを上乗せしていく、 もう、これ以上、どうやって、荷物を抱えて、もっていけるのか

【コメント】(琴)

 心は子供のままなのに 体はどんどん大人になっていってしまう
 そうしてアンバランスが大きくなっていって破たんする
 どうしても こどもなんです どうか 大人の姿の私ではなく どうしようもなく子供の本当の私を見つけてください
 みつけて 手を 叶わぬ夢
(2010/09月記)


   TOP   >  唄(ウタ)と日記   > 時間が叶うなら  ← 前へ      次へ→