ただ説明をしたいだけ――理解と認識の意味の差 06/08/15


理解を求める
人は人に
相手にその人を
“理解”してほしいと
理解
そのひとは
その人自身をみんな理解しているの
むつかしいこと

わたしたちはいったいどれくらい
自己という生き物を理解しているだろうか
それすら不完全
それなのに
自己を理解することで
護ることで一生懸命
そこへ
誰かを理解することを求めても
無意味だよね

理解してほしい
誰かに理解を求める
みんな理解してほしいなんて無理だよ
そう
相談されたある人はそう請合いながら
ある人にそれを求めて気がつくと相談
そうやって回って一定の高さだけ
わかる部分
その下は
受ける範囲がない

それと同じでいい
知ってほしいだけ
でも無理だよね
異なるものが多すぎて
その範囲に入りきらない
だからいつも
むりだよ
むりだよ
最後には・・・「だから何」
「あまえでしょ」
できるのにしたくない言い訳
だって同じじゃない

決まっている
ひとが他人にする判断は
見た目が8割がたらしい
9割だったかもしれない
だから同じなら
あなたは“同種”
だから
同じ分の
“理解”

むりだよ
理解の求めすぎ
笑う人たち
ヤミの中
入っている体はそっくりでも
脳のシナプスは接続が違う

知ってほしいのはそれだけ
見た目は同じでも

ただの個性でしょ
性格でしょ
だってあれはできるじゃない
だってあれは
気になってないじゃない

理解を求めすぎだよ

そうだろうか
そうしているのだろうか

理解でなくてはいけないのだろうか
わかっている
血や距離が重いが近いから とか
たとえ血がつながっていたとしても
その血縁がどこまで意味して必要で大切かすら
どこまであるのかも知らないが
別固体を知り尽くす理解なんてありえない
其処まで行かなくても
表面より少し奥ぐらい行けばいいほう

そういう“理解”なんてありえない
ただ
“認識”がほしいだけ
異種のものを
異種と認識して
行動と知覚特性を
認識してほしいだけ
その差を知って
同じ空間にいるための“必要なもの”を
“認識”して
それがそうなっているわけを
“理解”してほしいからの説明だけ
同じ空間に同居するのに必要だから
説明したいだけ
同居したいだけ

だってあなたは犬や猫を
いろんな動物を
同じ空間で共生しているでしょう

同じことを
姿が違うと
言葉まであると
言葉があるだけに
難しい
言葉が違えば
外国人なら
“お国柄”
許されて理解
コトバまで
同じの
“異種”を
説明したって認識でさえ
難しくする

見えるものが
みたもの聞いたもの第一印象それがその他人をそうと“理解”
それで人と人との間の理解と認識が決まってしまう
9割 それが 何年も
そして相手に持った認識と違っていると
多くは破綻

理解も認識も
出発点
“他人を理解”などありえないから求めない
自分さえ自分でわからない部分が多いのに
まして別個体
他人をその人を理解
それは無理だと知っている
ただ如何に近いか解るかの差だけがあるだけ
それが一般に使われる人を理解
むりだから
そうではなく
人ではなく
見て判断できないものもある
そういう“普通”で測るものではない人が居る
それだけではないものがある
それがあることを理解して認識してほしい
ただ
“認識”を
もとめた
でも
“おなじ”だから
“ムリダヨ”

“他人個人を”理解はいらない
“説明”を聞いてほしかっただけ
そしてこういうものもあると 種類の人があると
“認識”を
片隅でも
そのための
“説明”だった
それだけ

オネガイ誰か
すこしでも と

だから
せめて
認識を
求めた

ありうるものとして


<日記>06年08月ごろ

みんなが、全くフツウと変わらないと、そうとしか見えなければ、出来て、 当たり前、そういう、認識、それが、当たり前。
そうじゃない、他人を理解、それを、求めている、違う、こういう人も、いる、 見えないだけで、これが出来れば、出来るはず、そういう方程式、ものさし、 それだけでない、
みてわからないけれど、こういう性質を持っているから、それに出会うと、大 変なことになる種類の人なんです。説明。
でも、わがまま、性格、しつけ、押し付け、あきれて、いっぱい、いやなこと、 言われて、理解の求めすぎ、
違う、説明、だけ、そして、見えないもの、見えないだけで、ワカラナイだけで、 いろんな、種類の人、いる、それを、認識、オネガイ。
説明は、押し付けと理解の求めすぎ、わがままの押し付け
そう、受け取られて、疲れて、沈黙、
説明しているだけ、それだけ
理解、求めすぎて押し付けている、は、違うもの、なのに、同じになって、疲れるだけ そうならずに、すむ世界、どうか、少しでも

【コメント】(琴)

  見た目には全く周りと同じ、ただそれだけで、理解してもらえない
 人は他人を第一印象で9割を相手の人格と決めてしまうと聞いた
 だからこそ、誤解は増えるばかり、だから、こういう人もいるのです、こういう障害でこういうことがどうにもならないのですと、認識を求めた
 でも返ってくるのは他人を理解してもらおうなんて全部は無理という言葉だけで、笑っておしまい。これが、明らかに違う外国人で、作法もみんな違うと、お国柄だからと理解…。お願いだから、見えないだけで、こういう人もいるのだということを知ってください、説明させてください、聴いてください、いいわけでも理解を求めすぎでもなく、ただ認識してもらって共存したいだけなのだから…
(2010年07月15日記)


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