メモリひとつの”ものさし”   7/9/26


このところ
テレビの画面の中で話が多くなってきたもの
自閉の世界
その「中」にいる子
そのこを主人公にした物語

まただ
最初はすでに
世界が違った“代償”として手にした力が何だったかを
見つけて使える少女だった
次は
母に守られた幼子だった
原作は 
ありえないものばかりが多く大筋がぼけていた
次々に起きる事象に現実ありえない理解の展開
母の苦労はいくらか伝わったのかもしれない
でもどうしてもそうなってしまう子供の心は・・・

数年後
青年が主人公だった
すでにカゾクは落ち着いて
それぞれに関わる距離が出来ていた
そうなる過程がどれほど苦難かはどこにも無い
理解者がそばでいつもナゼこうなるかを解説
自閉を知る
“きっかけ”にはよく出来ていた
でも
“固定”していた

そうしてまた
映画でやったリメイクだって
よく出来た評判だったって
海外の 作品


いつも思う
同じ
いつも同じ
いつも同じスペクトラムの
いつも同じ反応をする
いつも同じ感覚をする
教科書
一定のプログラムで作られた自閉ロボット

スペクトラムなのに
スペクトラムでない
ひとつしかないの
まねがうまいか下手かなだけで

認めないから認めるへと
その長い道のりと戦い
違う世界と視点が通じる瞬間までの
そして
そのこを背負う責任の
無言の押し付け合い
親だから
姉妹兄弟だから
誰かのせいに
何がいけないのか
何もないのに
そうしなければやっていけないつらさ

誰かが付き添う役になるのか
親なのか
居なくなったら
兄弟姉妹
同意は
反対は

家族の絆が重い鎖に変わる瞬間
血のつながりが 手かせ足かせに

どうして
幸せになりたいのに付き添っていたら家庭崩壊だ
いっそ
どうかいっそ・・・

そういう過程もたくさんあったろう
そのぎりぎり限界
それきりで終わったその先には行くことが出来なかった人も
沢山居るだろう

乗り越えた一部
氷山の一角
そして登場するのは教科書そのまま
認めがやっと通過した
一種落ち着いた
必ず誰かが助けとしてそばに居る状態
必ずどこかに次々と
一人去ってしまってどうなるかと思うと隠れて登場
ありえない
多くはこんな状況 奇跡的
ドラマだから
仕方がない
でも
でもこれは・・・

しぐさのまねは
うまいよね
でも
それをしない別の反応は出てこないよね
それをしない反応の違う人はどう見られるんだろう
繰り返されるこういうおなじスペクトラムの子ばかりが登場し続ける中

物差しを作っているの
でも刻まれるのは
同じ場所のメモリばかり
いつまで
他は

あまりに多様だからこそスペクトラムとしかあらわせなかった
そのはずで
根っこの大本だけは同じ
でも枝葉があまりにも個人差

それなのに
認めるメモリ
認める物差し
その
それを知るきっかけ
それの人用を知るきっかけ
それが
刻むものは
いつも

同じところ
同じ人 同じ反応と視点と感覚とカゾクと
理解者とありえない奇跡と

ものさしにメモリがひとつ
太くはっきりと
ひとつだけが
ひとつなのか
おなじ場所に無数に固まっているのか
そしてそれが
メディアという諸刃をつうじて
広められていく

希望と
無限の絶望を
持った諸刃として

ひとつが終わって
忘れかけた頃
また
創られる

そのたびに
居場所は狭くなっていく
広くなるときは
有るのだろうか
無い場所が
ある場所になる
認めない異物が
いてもいいよ

可能性
ある様で消えそうな

そしてまた
メディアの中で目にするたびに
身を縮めて
“賭け”をする

ひとつのメモリ
ものさしへ

そして答えの無い問いかけへ
“絆”は“鎖”ですか そうしてしまったのは
わたし
わたしは血のつながりを
手かせ足かせにしていますか
償いは 
方法は
いつまでもどこまでも果てしなく
永遠のままで
それでも終えるべきは
償うべきは
いつでも其処にある
ただ
それは




<日記>07年09月ごろ

ちょうどタイミングでまたドラマをやっていたね・・
マラソン
こういうのが固定観念となると、わたしはどこまで行っても認めないだけが残っていくことを感じる
職場のパートさんたちもみんなドラマとか好きだからほとんどが見ているだろう
今回は有名でかなり前評判も在ったらしく 彼女も見ていた
カノジョの場合は惰性でそのままかけていることも多く半分眠りながらなので
意図的に見ようとしてつけているのかたまたまつけっぱなしの局で始まって変える気も無くそのままにしているのかは判断できない
だからわたしもちょうど隣で見てみた
でも最後まで見ていられなかった
その評価、今までやった、自閉症のドラマもそうだけど、いつも、みんなはどうみていた?それぞれの立場で
当事者はコメントあらわすことむつかしくても、その家族はいろいろな思い。 そして支援者は家族をサポートする立場
その、見解のずれ、なんだか、これでいいのかなあって・・・
これなら、もう、やめてほしい
支援者が、こういう反応であるのなら、やっぱり、何も変わらないって・・・
今までは出来なかったけれど、今回、HPを知ったことで、コメントを見た。 かなしかった
泣き笑い
これ以上ミトメナイを増やさないで・・・もうイバショを消していかないで
同じものを目指すはずの者同士で、反対に別れている
全く違うほうから見ている
すれ違っているこのままずっとすれ違っていくの

【コメント】(琴)

  やはりわかりやすいし人気のためだろうか、そして、内容を面白くするため…いつどんな形でやっても、テレビの中の自閉症の人は同じくらいのスペクトラムの人を主人公にしてばかり。教科書どおりのタイプ。
 スペクトラムと言うほど症状は多様なのに、紹介されるのはいつも決まっている。これでは理解など進まない、返って固定観念を植え付けて、違う位置のスペクトラムにいる人は認めてもらえない世界になって行きそうで…私はこういうドラマが出てくるたびに不安になる
(2010年09月記)


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