見えない銘前   7/10/3


たとえば
もって生まれたもの
そしてそれが
その生れ落ちた世界の中で
存続するのにあうか合わないか
合わなければ
そして
生まれたときにはそろっていても
後で失って再生が利かないもの
それらによって存続が危ぶむことになるもの
障害
障碍
しょうがい

生まれながらに持っていて
周りも当事者も見えないもの
でも見たり感じたりが違って
使う言葉も言語は同じ
それなのに使う意味がかみ合わない

カイワというキャッチボール
投げた言葉が返ってきて
またそれを受けてまた投げる
どこに投げているんだろう
目の前の相手だと思って
それがどこかへ行ってしまう

まっすぐ向き合ってキャッチボール
そのはずが
位置がずれていて
互いに投げ合っては
素通りしてどこかに当たって還ってきた投げたボールにまた受けて投げる
当然どんどんずれていって
いつの間にか去っていく周り

どこからみても
どこもおかしいところがない
でも
社会で一人
生きていくには あまりにも
必要な手段を欠いている
この先一人で
だれが
みるべきと指された“親”が居なくなった後
だれがみる
そしてそれだけの時間とゆとり
どこにあると

身寄りのない老人がいた
一人暮らし 
定年退職後の 
寂しさからおかしくなって壊れていく
身内は捨てたのだろうか 
家族とはなんだろう血縁とはいったい
一人アパートで
どこへ行ったんだろう
なぜ

そしてその孤独と寂しさから
幻聴や幻覚が生まれておかしくなっていく
突然騒ぎが起きて
厄介者
それが来る基となる
人とのかかわりが絶たれたなにか
それが性格からなのか
家族の問題か
もし
まだ当然知られていない昔にも同じくあったに違いない
今問題になっている障碍のひとつで
その人の“今”が有ったのなら・・・

人はいう
孤独な老人がたどる
段階だという
それから来るものを外に向けるか
うちに向けるかの違いで
なにかを巻き込むことは同じでもイメージを対極に分ける
外に向けるものは追いやられ
自らの内に向けるものは
身を滅ぼして

こわくなる
たまたま“銘があるかないかの事で結果が似ていることに
だって
わたしにもしも・・・

どこが違うのか
銘があるか無いか
知られて理解される銘を持っていれば
何とか手を伸べて
銘が付いていなければ
孤独でおかしくなって迷惑をかけるだけと
無銘であれば
厄介

もたらす結果は同じ
ただ
正式な銘があるものかそうでないものから来ているのか
見えないものが
見つかったか見つけ損ねられただけなのか

生まれた瞬間から 診断が降りた瞬間から
認めない
認めては居ない
受け入れることと認めることは違うのだろうか
対処してもしつくしても
出来なければ
どうにもならない理由でそうならば
認めてそういうものであって
もう還らないものであると
目を閉じる
そして
それを持っては どうすればいいかを
ともに歩んでいくこと
そばで
いつも其処に居るからと
いつも手をさし伸べて

失った
目の前を歩こうとするそのものとともに
失ったものとともに
それでもそれとともに見つめる
見えない未来の時間を
銘は
それが示すものがなにかを見ることが出来なくても
その銘を持った者を
それ自体だけを見つめて
そして
ここにいつも
居るからと

その一方で
そうではなく
意識の外に出してしまって
そんな銘のはずは無いと記憶の置き換えをしてしまう人
そうしなければ
崩れてしまう
自他共に
他のものすら巻き込んで
だから
その銘から
それを持ったものから
視点をそらし
ちがう と
なにがあってもちがう


その差
認めと受け入れ
同じ出来ないでも
銘を持ったものへの
対応の違いはまるで変わる
対極へ
得られるはずだったものをすべて一言が奪い去ってしまう

ひと
つよくて
儚い生き物


知らなければ
見えなければ
その銘柄を
聞いてもなにかわからなければ
知っている知識とそぐわなければ
認めるべきが認めないとしたならば
銘は
あっても銘無し
受け入れは
とおくどこか さよなら

でも
当事者として其処に居るものは
残酷な存在として其処に居ることには変わらない
生まれてしまったことが
巡り会ったものを
苦しめている罪
その あるはずだった将来
未来 夢 希望
すべてへの償い


ある時あるところに幻覚と幻聴で騒ぐ老人がいた
みなが言う
迷惑な人
厄介 こわい 和を壊す

そういったものはわたしも同じ
そういったものでいつも追い詰められてもどうにもならない
居るのに居ないもの
どこがちがうと・・・?
あれはわたしだ
あれは“おまえだ”
この先の時間のどこかで待っている “お前”の姿だ
でもお前は同じにはならずに済むだろ
声がする何処からか

こわくなっていく
ただわたしには“障害”というものになっているから?
見えなくても
ちゃんとした銘がついていると認められたから?
なら どうして
起こしてしまう結果は同じでも
知らなければ
そうであるようには見えなければ
認メナイ ミエナイ デキルノニシナイダケ
アマエテイルダケ
コワサナイデ
イルコトデコワス
同じこと・・・

結果が同じであれば
わたしがこういうものであると認めることがなければ
まず そうであるもので
だから
いつまでもこうしてさまよっている
それなのに
孤独と寂しさから来る狂気は仕方が無い警察を・・・

わたしも いずれ結果は同じもの
なのに
「あなたの場合は違うからそうならないから・・・」
こういうときだけ認めるがあっても
何を感じればいいんだろう

障碍という銘を持った
一人の支援者であり当事者である母として
それを語るという講演会が
有るという
有った

如何して申し込まなかったの
遠くで路がわからないから・・・

ちがう
そうじゃない
ほんとうは
こわかった
だってわたしは
銘を認めなくてもそれに沿わざるを得ない
それでも来るはずだった未来を箱にしまって
今に手を伸ばす涙を

存在したことで
与えた苦しみと
奪い去った未来
壊した夢と人の和
その
基で
償いきれない償いを背負った
間違いを

それが作り出したものを
みてしまうことが
こわかった

ただ
それだけだった

あなたの銘は
わたしの銘は
それがあるから
それがないから

あっても無くても
見えなければ
結果は同じ
そうであっても

そして
銘を持った安心と不安 それにより
持たなかった人の不安と安心 それにより
奪い去ったたくさんの未来を


<日記>07年09月ごろ

突然壁やドアを殴るものすごい音がした
隣の人が、ドアのソトで、竹刀のようなものを持って立っていた
目がどこを見ているのだろう
一人暮らし 定年退職後の
身内は捨てたのだろうか 家族とはなんだろう血縁とはいったい
そしてその孤独と寂しさから、幻聴や幻覚が生まれておかしくなっていく段階だという
そういったものはわたしも同じ
そういったものでいつも追い詰められてもどうにもならない
居るのに居ないもの
どこがちがうと?
ただわたしには“障害”というものになっているから?
なら、どうして、起こしてしまう結果は同じでも、知らなければ、そうであるようには見えなければ、認めない、同じこと・・・
結果が同じであれば、わたしがこういうものであると認めることがなければ、まずそうであるもので、だからここに居る、こうしてさまよっている、それなのに
孤独と寂しさから来る狂気は仕方が無い警察を・・・
警察など、何もしない、ただ、“殺す”だけ
かつてわたしを殺して捨てた、あの、組織
生まれた瞬間から 診断が降りた瞬間から
認めない、認めては居ない
受け入れることと認めることは違うのだろう
対処して出来なければどうにもならない理由でそうならば
どうすればいいかをともに歩んでいくこと
そうではなく
意識の外に出してしまってそんなはずは無いと記憶の置き換えをしてしまう人
その差
認めと受け入れ
同じ出来ないでも
対応の違いはまるで変わる
でも
残酷な存在として其処に居ることには変わらない
生まれてしまったことが苦しめている罪
将来すべてへの償い

【コメント】(琴)

  よく、不安になる 年をとっておかしくなって、まわりを不幸にする人と、その人に向けられる目。それと、やはり周りを巻き込む”障害”という名を持って生まれたために周りを不幸にするものと。それぞれに対して向けられる目と、与えられる手…
 もたらす結果は同じなのに私はたまたま障害として認められたから幸運にも今があって、そうでない人はただ厄介者として処理される
 わたしは周りをこれでどれだけ不幸にしているのだろう、どれだけ厄介者なのだろう、本当は…
 できることひとつ
 小さくなってただひっそりとできるだけ独りで…
 何が、生まれたことへの償いになるだろう
(2010年09月記)


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