たべるということ  09/05/26


たべるということ
栄養を取って生命を続けることに
必要不可欠なこと
7つの本能のひとつ
本来
本能に従って楽しいことであるもの

それが苦痛に変わるとき
本能に逆らう苦痛
食べたくとも食べられない
食べればこわくなって排出することにやっきになり
たべなければ
最初はよくてもどんどん動くことが困難に成っていって
日常生活でさえ重苦しい仕事に変わる
そのかわり
食べることから来る排出への妄執から開放される
究極の二者択一

当たり前に一日3食
それを当たり前にこなしていく人たち
なんて当たり前に笑顔
食べている姿の楽しそうな姿
なんて幸せ
好きなものを何も考えずに
当たり前に3食
食べられることの幸せ
食べた後の後悔や脅迫感のない食事
それが当たり前に出来る幸せ
「どうしてたべないの」
「もっと食べないといけないよ」
わかっている
でも恐怖感
理解し得ないだろう それに
だれよりも
いわれるまでもなく
そうできたらと願うのは当事者
食べるという行為はとても簡単に思えて
途方も無くむつかしく後で苦悩が待っている

ごめんなさい
無理して食べています
薬でごまかして
翌日の苦しみを飲み込んで
食べることを見て喜ぶ笑顔を壊したくなくて
最低限自分の中で許せる食物ですが
笑顔のために食べ物にこだわっています
泣きながら
そして
作ったり買ってくれたものを腐らせてしまったり
古くなってもまだあるのに食べたとごまかして
やり過ごしています
最低
ごめんなさい

一人で買い物
買えない買い物
手にとっては棚に戻し
かごに入れては
最期は返してくる何も買わない買い物
買うことが出来てもとたんにこわくなって冷蔵庫の隅で腐っていくものや
無理に食べては薬で無かったことにするためへの苦しみに耐える
買い物は怖い
ああそうか
たくさんの色とりどりの商品が
たくさんならんでいて
こういうものがあるのだと眺めて歩くのがすきなんだね
そう納得して
日々は続く
食べられもしないのに
食べ切れはしないのに
ほしいと思っていいよに甘えてしまう馬鹿な人間です
そうして溜まっていく食べ物
そうして増えていく薬
そうして増えていく無茶な運動
制限されていく行動範囲や日常生活
増える一方の無気力感と倦怠感
体重計に乗っては一喜一憂
はくことが出来ず下剤で一日張ったおなかで苦しいだけの日々
そうしてやっと排出した昨日の食べた分
収まった膨満感にほっとするまもなく
溜まったものをまた押し込む一日一度の食事をするわたしがいる
そしてまた薬
そしてまた翌日
その繰り返し
ただ繰り返す

後の苦しみを考えることなく何も苦しむ必要もなく
食べるということが出来たなら
どれくらい幸せだろう
食べたいものを苦しみを伴わずに食べられる幸せ
味わってみたい
食べるということの幸せ

作った人や食物たちに
とっても残酷なことを繰り返している
最大の無駄
ただ
ごめんなさいとしかいえない
そうして事実を
食べきれないで捨てるものもある事実
食べても摂取しないように薬を飲んでいる事実
隠している罪
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・

何時まで続くのだろう
せめて今
溜まっている分がなくなったら
もう終わりにしたい
この繰り返しを

食べることの苦しみ
食べることの悲しみ
食べられる人たちの幸せ
失うコミニュケーションの手段

ほんとうは
食べたいんです
でもできないんです
わかってくれとはいいません
でも好きで食べられないのではないのです
後で苦しみが付いてくるから食べられない
この苦しみはわからないでしょう
理由は本人しかわからないでしょう

ホントウは食べたいんです
何も後のことを考えなくてよく
食べられる幸せ
いつもあるのは
うらやましい
わたしには苦痛が残る
そうしてまた今日も


<日記>09年05月ごろ

夢を最近見ているようで、今日は、ずっと追いかけられて追い詰められて逃げ惑っている夢だった
かろうじて起きてトイレに行き、起きるために朝の薬を飲んだが、起き上がることが出来ない、体が重苦しい。気がついたらセルシンを飲んでいなかった
一番大きいのは、ジェイゾロフトが袋に引っかかっていて、飲み損ねたことで気力が減退していたのだろう、あわてて飲んで、ようやく起き上がることが出来たのが、動くことが出来るようになったのががんばって1時。今3時になってようやく体が動くようになってきたところ・・・
食べないと減らないので食べれば下剤を飲まないと気が狂いそうになる、食べたものを排出してしまわないと、という思いでいっぱいになって苦しくなる
そうして食べると翌日におなかが張って、粗相をしたり、何度もトイレに行くなどで、外に出ることがこわくなっていくことを加速していく、排出できないと狂ったようにまた下剤を飲み足したり、おなかをたたいたり、数時間歩き回って運動刺激で腸を動かそうと必死になって、そういう圧力のような切迫感に襲われて一日が過ぎる
昼過ぎにようやく起き上がって、一日の残りのほとんどをこれに費やし、ようやくすっきりしたら4時や5時では、絵を書くこともままならないし、そこまでの気力が倦怠感に負けてしまって、出ないまま過ぎていく
何も気にせず食べたいものを3食食べて問題ない排泄を出来たらどんなにココロが軽くなるだろう
体重増加を恐れることなくサプリメントや下剤、一定時間以上の運動にとらわれずに
おいしいという食事が出来たらどれだけ幸せだろう

何も出来ずに無気力で倦怠感の中時間が早く過ぎておなかがすっきりすることだけでいっぱいで、何も出来ない。することはあっても、それをしようとするまで行くことが出来ず、し始めることができても、すぐにし続けることが苦痛になって、ひたすらただうろうろするだけの毎日

気力が続かない、出ない、倦怠感がひどい
頭痛もある
体が重たいです 気力が出てほしい、絵を描こうとしてもまったくできずに居る

【コメント】(琴)

   本当は、食べたい、本当は、…
  でも、どうしてもできない、わけのわからない強迫観念が襲ってくる。食べたいと思っても買い物もできなくなる。安心しきって食べたことがない。
  買ってしまって、それを食べきることができずにたまっていって腐らせてしまうだけ。部屋中に散らばるお菓子。
  本当は安心して食べたいものを十分に食べることができたらどれだけ仕合せだろう…
  食べたいのに、食べることのできない、苦痛
(2010年10月記)


   TOP   >  唄(ウタ)と日記   > たべるということ    ← 前へ      次へ→